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京都・車折神社へ元日に初詣 [京都(嵯峨嵐山)のこと]

元旦に伏見稲荷大社車折神社に初詣した(「2006年 謹賀新年」の記事)が、今回紹介する車折神社は、当初予定になかったのである。

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京都・嵐山花灯路、まもなく [京都(嵯峨嵐山)のこと]

 昨日、京都・嵐山へ紅葉を見に行ったときに思ったことについて。

今、嵐山は、12月9日から18日まで行われる京都・嵐山花灯路一色である。そのポスターをあちらこちらで見た。ちなみに写真のポスターは、JR二条駅で撮影したもの。昨日の記事でも少し書いたが、開催まで日が近いので、あちらこちらでその準備がされていた。

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朝の嵐山 [京都(嵯峨嵐山)のこと]

(携帯から送信です)
さきほど、仕事前に嵐山へ行ってきた。紅葉シーズンということもあり、朝にしては、人が多い。紅葉と緑色のコントラストは、何度見てもすばらしいものがある。また夜に追記します。


【追記】 (2005年12月3日 22:30)

携帯からの送信で、「紅葉シーズン」と書いたが、もう12月に入っているから、もう「シーズン」ではない。間違って書いてしまった。

11月下旬あたりから早起きして、紅葉を見に行こう見に行こうと思っていたが、朝が起きられなく(朝が弱いから)、行けなかった。やっと今日行けたのである。

朝、JRで嵯峨嵐山駅まで行き、そこから真っ直ぐ南下。突き当りまで行くと、桂川が現れると、渡月橋も右側を向けば見える。

うーん、何度見てもすばらしい嵐山の紅葉風景。朝だというのに、遠くからクルマで来て、昨晩から乗りつけていたと見られる他府県ナンバーのクルマを数台見た。

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惜別でいいのかJR嵯峨嵐山駅舎 [京都(嵯峨嵐山)のこと]

↑朝のJR嵯峨嵐山駅舎(旧 国鉄嵯峨駅舎)

まさとし3055さん「私の原点・・・名古屋(趣味編)」で鉄道に関する思い出の場所を書かれていて、私も鉄道趣味の原点について書きますとコメントしておきながら、なかなかできなかったので、今回はその話を。

私の場合、鉄道趣味の原点的な場所は2ヶ所あり、うち1ヶ所は今回紹介する旧国鉄嵯峨駅(現 JR西日本嵯峨嵐山駅である。

私がよく嵯峨駅に行っていたのは、小学2・3年生の頃だったと思う。同じ町内に住む鉄道好きのお兄ちゃんとチャリンコで15分ぐらいかけて遊びに行っていた。

今でこそ電化され、トロッコ列車の始発駅になり、観光シーズン、特に紅葉シーズンには観光客がたくさん乗降するようになったが、私がよく行っていた頃は、国鉄時代で客車やディーゼルカーばかりで本数も少なく、のどかだった。たまに保津峡でガケ崩れがあって、列車が止まっていたのが思い出される。

次列車表示装置も現在はLEDで表示されているが、その当時は駅員の手で時間や行き先を合わせるものだった。多分、表示装置や行先幕に興味にもったのは、その手動表示器がきっかけだと思う(その写真がないのが残念)。

JR嵯峨嵐山駅舎は、前身の京都鉄道が開通した明治40年(1907)開業の際に造られたものである。同時に開業した二条駅舎(現在は梅小路蒸気機関車館へ移築)は和風駅舎であったのに対し、ここの嵯峨駅(開業時の駅名)は洋風駅舎を置いた。でも、あまり洋風の感じはせず、周りの風景に溶け込んでいる。

駅舎の中も木造の雰囲気がたっぷりあり、現在のように白っぽい感じではなかった。

そんな思い出たっぷりの駅舎が現在進められているJR嵯峨野線(山陰線)複線化工事で、2面ホーム3線が2面ホーム4線になり、同時に駅舎も橋上駅化されるため、時期ははっきりしないが取り壊される予定である。

これは残念でならない。なんとか残った二条駅舎や奈良駅舎のように残してもらえないだろうかとも思う。しかし、この嵯峨嵐山駅舎にどこまで文化的価値があるのかもわからないが。変わり行く思い出の風景ってところかな。

↑JR嵯峨嵐山駅2番ホームからを現駅舎側1番ホームを望む

【おまけ】

↑渡月橋から望んだ愛宕山の朝焼け

 


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私の一番好きな場所 ~京都・広沢池~ [京都(嵯峨嵐山)のこと]

当ブログがついに100記事目。少し感慨深い。

そんな訳で(←どんな訳?)、今回は私、norinoriの一番好きな場所を取り上げます。

それは、広沢池(京都市右京区)。

この間の日曜日の夕方に約半年ぶりに行ってきました(本当はもう少し早く行きたかった)。

上の写真は、池の西岸から南岸を撮ったものです。この日は少し曇っていましたが、それが返っていい感じを醸し出していたかも。

左側の写真は、池の西岸にある観音島から祠(ほこら)と東岸を撮ったものです。

ちなみに昨年フジテレビ系で放送された「大奥~第一章~」でお楽(おらん)〔京野ことみさん演じる〕が徳川家光の側室になることで、幼なじみらしき恋人(演じた役者さんはわからない←失念)とお別れのシーンにも観音島が使われました。そのときの放送をリアルタイムで見ていたのですが、広沢池が写った瞬間、妙に興奮。こんなシーンに使われるとはと思ったものです。

右側の写真は、南岸から北西岸の日の入りを撮影した写真です。日の出見たいに見えますが、日の入りですぞ。

左側の写真は、観音島から北岸の遍照寺山を望んだ写真です。ヨシが伸び伸びとしていますね。

右側の写真は、南岸沿いに通っている道路の南側から広沢池と遍照寺山を望んだ写真です。

広沢池は、平安時代中期に宇多天皇の孫寛朝(かんちょう)僧正が北西の朝原山に遍照寺を建立した際に造られた池と伝えられていて、別名を遍照寺池ともいわれています。一方、嵯峨野を開拓した秦氏が原始的な溜池として造った説もあり、詳細は定かではありません。

なぜここまで好きなのかですが、私が6歳から18歳までを広沢池近くで過ごしていましたので、大げさに言えばですが、「心のふるさと」とも言える場所です。残念ながら、現在は引っ越してしまいましたが、たまに行くと、とても落ち着きますし、ふらっと行ったときには「頑張るぞ」と思わせてくれるところです。

100記事目にあたり、これからもブログを続ける節目として、取り上げた次第です。これからもよろしくお願いします。


今回の記事は、barbieさんの「ハーレーで行く龍安寺・広沢の池」にトラックバックさせて頂きました。

 


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