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九州旅行雑感第六回(熊本城について) [旅行記]

九州旅行の二日目(3月21日)に熊本城に行ったのだが、とてもよかった。今まで行ったことのある城のなかでも一番だ(今まで行った城…二条城、名古屋城、安土城址←それほど行っているわけではないが)。日本三名城の一つだが、恥かしながら他の二つは姫路城となんだっけ(恥)。後もう一つは、松本城らしい(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。ただ、名古屋城、大坂城も三名城という説もある。

↑熊本城(この日は快晴でした)

旅行当日のブログにも書いたが、一回こういう城や資料館、博物館に行くとじっくり見ていくタイプなので、ゆっくり時間をかけて見ていった。

熊本駅からのシャトルバスで熊本城に着き、西大手門から入る。南大手門を横に見ながら、前に歩いていく。

↑熊本城「南大手門」

 

頬当御門で入場券窓口があるので、入場券を購入。大人500円也。頬当御門前には鎧をつけた侍の格好をした人が二人いて、観光客の記念写真に応じていた。頬当御門をくぐって、少し坂道をあがると、天守閣がはっきりと見ることができた。

↑見えたぞ熊本城「天守閣」

 

「天守閣」は後のお楽しみとして置いておき、西南戦争後に唯一残った多層櫓である「宇土櫓」の中に入れるので、行くことにした。この「宇土櫓」、熊本県にある宇土城から移築したといわれていたが、発掘調査によってそうではない説が有力となったことが説明されていた。それにしても、これが櫓っていうぐらい壮観な造りである。3層5階地下1階からなっていて、第三の天守ともいわれている。焼け残りの貴重な遺構なので、国指定の重要文化財に指定されている。

↑熊本城「天守閣」から見た「宇土櫓」

 

「宇土櫓」を見終わった後、20人ぐらいのグループによる記念写真が撮られていた。でも、団体旅行ではなく、親類か仲良しの家族による旅行のよう。今どき、こんなグループ旅行ができるのも羨ましいと思う。

↑「宇土櫓」から見た熊本城「天守閣」

いよいよお楽しみの「天守閣」に入る。現在の天守閣は残念ながら昭和35年復元のもの。明治9年の西南戦争時に原因不明の大火によって、焼失してしまった。天守閣内は、熊本市立熊本博物館の分館となっており、熊本城の歴史や、歴代肥後藩主が愛用した武具や調度品、西南戦争の様子、現在の熊本城の基礎を造った加藤清正公についての展示がされていた。熊本城についてのビデオ上映もされていたので、じっくり見ました。天守閣の一番上から眺める風景はまた格別のものだ。

↑加藤清正公(肖像画の横には生い立ちが書かれていた)

 

「天守閣」を見た後、「数奇屋丸」に行く。書院造りで茶会や能、連歌などが催され、来客時の接待にも使われていた建物。平成元年に復元。

↑熊本城「数奇屋丸」

↑熊本城「数奇屋丸」前から見た「天守閣」

 

今月からは、「飯田丸五階櫓」の一般公開が始まり(行った時は、3月でしたのでまだ見られませんでした)、「本丸御殿大広間」は、築城400年にあたる平成19年の完成を目指して、工事が行われていました。

↑熊本城の築城400年PR

 

熊本城の復元への意気込みは、熊本市が重要な観光資源だと位置づけをされていることを感じさせた。一通りの復元工事が終われば、また訪れたいと思う。

 

「05年春の九州旅行について」の記事はこちら。

 

「05年春の九州旅行雑感」の記事はこちら。

 


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